【新連載】韓国のシニア美容最前線 ― 大学教授・申氏が紐解く「超高齢社会」の新たな希望と文化
中世古祐里
介護美容マガジン
Vol.1:“ご飯を出す美容室”
今回は、韓国で37年間、高齢者に無料で昼食を振る舞い続けている美容師のエピソードをご紹介します。
美容室は、髪を整える場所。
けれど、この小さな美容室には、人が集まり、安心して過ごせる“居場所”としての役割もありました。
美容を通して生まれる、人と人とのつながり。
介護美容にも通じる温かさを感じられるコラムです。


髪を切るために訪れた美容室で、温かい昼ご飯が出てきたら――。 そんな少し不思議な美容室が、韓国の小さな町にある。 場所は韓国・忠清北道(チュンチョンブクド)の農村地域、沃川(オクチョン)。人口約5万人の静かな町の路地裏に、その店はひっそりと佇んでいる。 小さな看板には「PAPA美容室」と書かれている。しかし、この店を地元の人は店名で呼ばない。 「PAPA美容室?」 そう尋ねると、多くの人がこう答える。 「それなら、あの“ご飯を出す美容室”ね。」 この美容室では、来店した高齢者に無料で昼食が振る舞われる。 しかも、それは37年間、一日も欠かさず続いている。

この美容室を37年間守り続けてきたのが、美容師の朴淑子(パク・スクジャ)さん(70歳)だ。 彼女の一日は朝5時に始まる。 まずは昼食の準備。家の冷蔵庫からキムチをタッバーに入れ、自宅の近くの畑で野菜を収穫して店へ向かう。店に着くとご飯を炊き、キムチチゲを作り、おかずを整える。 午前9時、店を開ける。 それから夕方6時まで、ほとんど座る時間もなく働き続ける。休みは月に3日ほどだけ。それ以外の日は、料理を作りながら美容の仕事をこなし、高齢者たちと会話を交わしながら一日を過ごす。 この美容室には予約制度がない。来た順番で対応する。 そのため待ち時間は平均2時間。パーマの場合は3〜4時間かかることも珍しくない。 それでも誰も文句を言わない。 むしろ、この時間を楽しみにしているので。
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朴さんが昼食を出すようになったきっかけは、美容室を始めたばかりの頃だった。 パーマをかけるお客さんは、遠くから朝早く出発して来ることも多い。順番を待つうちに昼になり、お腹が空く。 そんな様子を見て、彼女はこう声をかけた。 「ご飯を食べていきなさい。」 それが、この美容室の始まりだった。 以来37年間、この店では毎日、昼食が振る舞われている。 料金はもちろん無料だ。 筆者が訪れた日には、手作りのネギキムチと太い素麺が食卓に並んでいた。湯気の立つ料理を囲みながら、おばあちゃんたちの笑い声が店いっぱいに広がる。
この美容室を訪れる客の多くは、80代以上の女性たちだ。 取材の日も、小さな店の中には8人ほどの高齢女性が座って順番を待っていた。 89歳の女性はこう言う。 「ここは美容室じゃないよ。 私たちのおしゃべりの場所。おばあちゃんたちのアジトだね。」 店の中では、畑の話、村の話、孫の話があちこちで交わされる。 まるで雀がさえずるような賑やかさだ。 しかし、この騒がしさこそがこの店の魅力でもある。 ここに来れば、誰かがいる。誰かと話ができる。それが何より大切なのだ。

80歳の女性は笑いながらこう言った。
「家では一人で食べるから、ご飯がおいしくないの。でもここで食べるご飯は蜂蜜みたいにおいしい。」
一人暮らしの高齢者にとって、食事は単なる栄養補給ではない。
誰かと食べる食事は、人生の楽しみそのものになる。
この美容室は、そんな時間を生み出している。
この店では、少し不思議な光景も見られる。
畑で採れた落花生を持ってきて、みんなに配る人。
唐辛子や豆、ニンニクを持ってきて「売っておいて」と頼む人。
朴さんはそれらを店で販売し、次に来たときに売上を渡す。
美容室はいつしか、小さな地域市場の役割も担うようになった。
ある日、高齢女性がコチュジャンを作り、それを美容室に置いて帰った。
そして息子の嫁に電話する。
「パパ、美容室にコチュジャンを置いたよ。」
仕事が終わった嫁が夜に取りに来る。
この美容室は、地域の宅配センターのような役割も果たしている。

この美容室の料金は驚くほど安い。 カット:6,000ウォン(約630円) パーマ:20,000ウォン(約2,100円) カラー:15,000ウォン(約1,580円) しかも昼食は無料だ。 日本の美容室と比べれば信じられない価格だろう。 それでも店は37年間続いている。

朴さんの人生は決して楽ではなかった。 義母を10年間自宅で介護し、数年前に看取った。 夫は30代から重い関節炎で働けず、さらに大腸がんと肝臓がんを患っている。 彼女は9年間、看病を続けてきた。 それでも美容室を開け続ける。 長時間立ち続けるため、静脈瘤の薬を飲みながら働いている。 「80歳までは働きたいですね。」 そう言って彼女は穏やかに笑った。

いま日本でも、高齢者の孤立は深刻な社会問題になりつつある。
美容室は、髪を整える場所であると同時に、人が集まる場所でもある。
美容を通じて、人と人がつながる。
韓国の小さな町にある美容室は、その可能性を示している。

朴さんは特別な理念を語るわけではない。ただこう言う。 「お客様が来てくれて、一緒にご飯を食べて、 笑って帰ってくれれば、それでいい。」 美容は、外見を整えるだけではない。 人と人をつなぎ、孤独をほどく力を持っている。 韓国の小さな町にある「ご飯を出す美容室」。 そこには、高齢社会の未来を照らす小さな答えがあった。

高齢者の孤立が課題となる今、美容室は“髪を整える場所”以上の役割を担う存在になっていくのかもしれません。
韓国の小さな町にある“ご飯を出す美容室”は、その可能性を教えてくれています。

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